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駆け出しキーボーディストの皆様に耳コピの仕方、曲の解説などやってます。

ゆづ〜〜〜〜〜

羽生選手のコメントについて。「芸術とは、あきらかに、正しい技術、徹底された基礎によって裏付けされた表現力がないと、芸術として成り立たないと思っています」

はい!これ!賛否両論だけど直近のイメージもあって、賛成の人が多いんじゃなかろうか。
ピアニストの端くれとして、一応言っておくと、限りなく正論に近いけど、言い切ってはいけない!とピアニストの端くれとして思う。ここからは音楽について話すけど、21世紀の音楽において、技術的に優れていない音楽はないとおもいます。歌は下手なやつたくさんあるけど、ほとんどがたくみに編集されていてあまり下手だと感じさせない。なぜ技術的に優れているかというと、だれかに受け入れてもらうものには、技術が必要不可欠だからです。なんとなく自分の中に発散したい気持ちの塊があって、それを爆発させてアウトプットするのが芸術なんだけど、それだけだと誰も見てくれない。そのままだと受け手のことを考えてないからね。ということで、ここからが技術の出番。表現したい気持ちやメッセージを、どうやったら伝わるかを考えた上でアウトプットを作とええる。例えば、8分音符の裏拍にアクセントをつけ、躍動感のあるビートにしたいとする。この時、8分音符の裏拍を弾くのがヘタクソで、タイミングが前後にずれてると、躍動感は感じにくい。たとえ本人が相当に気持ち良さそうだとしてもね。

ということで、芸術それ自体は自分自身の表現でしかないので、他人にどう見られるかは関係ないんだけど、ほとんどの場合において、芸術というのは他人に見られることを前提として作られている。そうすると、見ただけで感じ取ってもらえるような記号化など、伝えるための技術が必要になるわけだ。

一方で、技術が全く不要なまま相手に伝わっちゃう例もある。例えば、Bossa Novaで有名なアントニオ・カルロス・ジョビンは、イパネマの娘で素人に女声ボーカルを頼んでいる。全然トレーニングもしていないはず。なのにカッコよく感じちゃう。ヘタウマというものです。つまり、技術がなくても人に見せる芸術としてさえ、成り立っている場合がある。レアだけど。

ということで、芸術を誰かに伝えたい場合は技術はほぼ必須です。ほとんどの場合、これに当てはまるだろうね。最初、テクニックなんて磨いても意味ないと思ってたけど全然違った。早いパッセージを弾けるようになって初めて、ゆっくりな曲で自分の好きなタイミングに好きな音を乗せることができるようになった。誰にも聞かれない山奥に一人で住むなら、特に技術なんて気にしなくても、自分の思う通りに音楽ひけばOKよ。自分がどっちを求めてるのかで、進む道を変えたほうがいいですね。

ではごきげんよう

(980字、15分)